遺骨塚

広大演劇団OBの日記。公演観た時とかに更新します。

“聴く演劇”はラジオドラマか (Cu企画朗読劇「とりつくしま」感想①〜「ロージン」〜)

はじめまして。

この度、あの忌々しい数カ月前に卒業したH島大学の演劇サークルが、こういう企画をやっていたので、実際に公開された朗読ムービーを観てみた感想をつらつら書いていこうと思います。

www.youtube.com

企画の概要とかキャスト・スタッフの紹介なんかは、サークルのTwitterアカウントの直近のつぶやきから直接ご確認ください。動画は既に3本とも公開されており、23日正午時点で平均90回ちょい再生されてます。頑張って作ったのが随所から感じ取れる内容になっているので、興味の湧いた方は是非再生してみてください。ついでにいいねボタンとチャンネル登録とリマインダーをONにして今後の活動を応援しましょう。

 

記事内では特に未視聴の方に配慮とかはせず、盛大にネタバレ込みで話していきますので、1回は視聴してから読むことをオススメします。尤も、謎解きや怒涛の展開が押し寄せてくるような話は無いので、先に記事を読んでしまってもそこまで支障はないかもしれません。

それではいきましょう、今回は第一話「ロージン」の感想です。

↓視聴がまだの方はこちらから↓

youtu.be

早速感想に入る前に、まず広島大学演劇団とか、この朗読企画そのものについての僕の個人的な所感とか、気になった部分を書かせていただきます。結構長くなるので、興味のない方は読み飛ばしてください。

広島大学演劇団は、僕も大学生時代に四年間在籍していた歴史と伝統ある演劇サークルです。

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3年くらい前に決まった劇団のロゴ。

広島大学演劇団 | 日本 | ホームページ

設立の詳しい経緯とかは忘れましたが、学生運動が盛んだった時代には色々とヤンチャしたこともあったとかなかったとか。(※今はそういうのとは全く無縁な一般サークルです)

 

特徴としてはプロデュース方式の公演形式を採用しているところです。

通常、年に3〜5回程度公演を打ちますが、その公演ごとに代表者が小劇団を立ち上げ、その時期暇してる参加したいメンバーを演劇団内で募集し、二ヶ月程度の練習・仕込み期間を経て上演されます。

そのため、学業を優先したかったり、バイトや学外活動に精を出したいサークルメンバーは、堂々と参加を見送ることが出来ます。原則全員参加とかが一切無いため、時間や労力の配分を自由に決めたい学生にとっては、相性の良い公演形式なんじゃないでしょうか。(もちろん意欲のある人はドンドン参加して、年がら年中演劇に携わることも可能です)

 

古巣の紹介はこのへんにして、朗読企画のお話です。「Cu企画」というのが今回の小劇団名ですね。命名はおそらく主体となっている平成29年度入学生の呼び名「29(ニーキュー)」の後ろを取ってCu(キュー)でしょう。もうひとつの意味付けはパンフレットに載ってるのでそちらをご覧ください。

昨年は某コロナの影響でサークル活動が軒並み自粛対象となり、文化系のサークル団体はどこもかしこも大わらわでした。特に演劇は観客と役者、役者同士の距離感が非常に近くハコ(公演を行う空間)も狭い小劇場形式の団体が多いので、一段と風当たりが厳しい状況でした。実際、出演者の感染発覚により多くの劇団が公演の中止や、その後の対応に追われています。

www.okinawatimes.co.jp

広島大学演劇団も例に漏れず活動が凍結され、なかなか活動が再開できない状況だと人伝に聞きました。第二波の到来もあってか、遂に今年3月に予定されていた卒業公演も中止になりました。(因みに、去年の卒業公演もコロナの影響で中止になっています)

朗読企画は、このような厳しい状況下にあっても、「演劇をすること」「芝居を通して表現すること」を諦めなかった卒団生達によるささやかな抵抗・挑戦だと思われます。参加している後輩たちを含めて、彼らがこの一年で表現者としてのプライドを喪っていなかったことを、OBの一端として嬉しく思います。

ただ、それと同時に企画の概要を知った時、一抹の不安を憶えました。

それは、“朗読劇”という枠組みで挑戦してきたことに対してです。

 

朗読劇(ろうどくげき)とは何? Weblio辞書

広島大学演劇団では長らく挑戦してこなかった演劇形式です。しかもYoutubeで公開という形を取っているので、観客こと視聴者は、ちょっとでもつまらないと感じたらすぐに動画時間をスキップしたり、ブラウザを閉じたりすることができます。

これは、本来「閉じた空間の中で」「目の前の生き生きとした人間が」「魅力的な人となりを演じ」「展開される物語を一体となって感じる」ことで成立する演劇ならではの魅力が、半減していると言わざるをえません。そのへんのVtuberがやってる朗読企画と似たようなもんです。この形式で本当に観た人に感動を与えるだけのパワーを発揮できるのか。

ぶっちゃけ言うと、僕はあまり期待していませんでした。高校時代にラジオドラマを制作した経験のある僕からすると、音声だけで舞台空間を視聴者に想起させたりする技術を、演劇団は持ち合わせていないだろうと。

とりあえず最期に何か公演を打って終わりたかったのだろうとか、嫌味なOB感バリバリに、そう判断していました。

そして、あまり期待を込めずに、動画の再生ボタンを押しました。

 

(長くなりましたが、ここから第一話の感想です。)

ざわざわしている、というセリフが印象的な始まり方でした。

おそらく死後の魂の行き着く先を描写しているということはすぐにわかりましたが、この「ざわざわ」が直喩なのか隠喩なのかを考えているうちに、主人公の独白がどんどん進んでいました。

第一話の主人公は女性で、どこか呆然としたような、諦めたような口調で、つらつらと周りの風景と自らの心境を語っていきます。

最初、「とりつくしまがかり」のことを「とりしまりがかり」と読んで怯えていたのは、彼女自身が何か「取り締」まられることを生前していたからでしょうか。以後のシーンからは、彼女が極めて一般的な普通家庭の母親だったことしか描かれなかったので、何とも言えません。長い時を過ごしたはずの病院での生活にあまり触れられないのも、関係があるのかもと思いました。(善悪についての台詞も多かったです。病院で何か問題を起こしたのか、ただの哲学観なのか)

しばらくすると件の「とりつくしまがかり」との問答が始まり、女性は命のないモノとしてなら、もう一度現世に戻れるという契約を受けることになりました。いろいろ考えた末、彼女が選んだのは『ロージン』。私は全然知りませんでしたが、野球でピッチャーがボールを投げる前に触っている滑り止め粉のことのようです。

ロジン - Wikipedia

ここでは女性は「ちょっとだけでいい。息子の最後の軟式野球の試合だけでも見届けたい。」的なことを言っていました。ちょっとベタだなぁとも思いましたが、消耗品に取り付く下りなど、展開自体に不自然な要素はありません。

 

その後、無事にロージンに転生してシーンは試合の真っ最中へ。

彼女の息子の、緊張すると泣きそうになる癖や、バットを買った思い出など、試合の流れを通してつらつらと彼女の時々の心情が吐露されます。自分が少女時代にされて嫌だったことを子供にしてしまった後悔なども語られていましたが、このへんはちょっと気持ちが乗りにくかったかも。

最終的に、最終ウラ二死満塁の場面で息子がそれまでの泣き顔ではなく、ちょっと嬉しそうな表情を見せて球を投げようとしたところで、彼女のロージンとしての人生はタイムアップ。最後、試合の勝ち負けを見届けられないまま、母親は消えていきました。(このへんは子供の自立とか、親の子離れ以外にも表現してるものがあるのかもしれませんが、初見の僕にはよくわからなかったです)

全体を通してテンポはゆっくり。会話(はほぼ無いけど)もゆっくり。野球の試合を観ている筈なのに、軒先に寝っ転がって蟻の行列を眺めているような、妙な解脱感を感じた30分でした。これは、リラックスして聴くことができたという意味でもありますが、全体的に冗長だったとも言えます。

こういう会話を主体とせず個人の独白で進行する朗読劇は、主人公の心情に聞き手が入り込めないと成立しないため、ナチュラルに読み手の技量が問われます。私個人の感想としては良くも悪くも「地の文チック」で味に欠けていたと思います。聴くに耐えないなんてことはなく、聞きやすかったですが、感情の発露があべこべで、波に乗りにくかった印象です。子供に呼びかけるシーンにのみ感情が乗りすぎてしまい、その前後の台詞との連続性が感じられなかったのが原因だと思います。

BGMは、全体的に可もなく不可もなくな印象でした。死後の世界のBGMは、最初はあまり意識しませんでしたが、聞いてるうちに結構いいなと感じるようになりました。

対称的に、野球シーンのSEはメリハリがついておらず中途半端な印象でした。しっかり聞かせて「球を打って走った」ことを視聴者に想像させたいのか、それとも情景を想像させるのは独白に任せるのか。このへんの音量調整や間の取り方のセンスは、録音した音声を編集する人間の力量も問われるところです。

 

第一話を観た総評としては、私が当初危惧していた技術的な問題によるレベルの低さ(録音した声に混ざったノイズがそのまま流れる/音量バランスが適切でない)は殆ど見られず、非常に安定したクオリティにまとまっていたと思います。ただ、作品としての面白さで見ると、どこかチュートリアル感の漂う、山なし谷なしの展開が続いてそのまま終わってしまったようにも感じました。

高校の放送コンテストを比較対象に出すのはナンセンスかもしれませんが、ラジオドラマ部門といった音で聞かせるタイプの番組は、基本3分とか5分程度に番組時間が設定されており、仮に時間無制限でやらせたとしても10分を超えることはまず無いでしょう。それだけ、音のみで集中力を保たせるのは難しい行為なのです。かたやこの動画は1本30分、元放送部の僕に言わせれば、シンエヴァンゲリオンの上映時間を最初に聞いた時並に「長ぇ!!」と感じましたし、実際長かったです。

ただ、朗読劇をイコールでボイスドラマとしてしまうのは違う気がしますし、それこそ本来の朗読劇とは観客の前で演者が台本を読み聞かせていく形式が通常なので、Youtubeで動画の公開という点も含めて、ちょっと定義づけが難しいラインだなぁとも思います。人によっては「こんなの演劇じゃねえ!」と断ずるところでしょうし、改めてコロナ禍での今後の演劇の有り様を考えさせられます。朗読劇こと“聴く演劇”は果たしてラジオドラマなのか、それとも声劇動画なのか、そもそも演劇と呼べるのか。動画自体も作品のイメージを損なわないよう背景やキャラクターの輪郭が動いていたので、動画作品として評価するか否かでも変わってきそうです。(今回は演劇作品として感想を書いてますが)

 

あと、先ほどチュートリアル的という感想を書きましたが、おそらくそれは意図的に為されているとも考えられます。第一話の前半で丁寧に世界観や約束事が解説されたことで、第二話以降には、よりストーリー仕立ての展開が期待できるようになりました。ゆったりと時間が流れているように感じる空気感は私個人としても非常に居心地がよかったので、テンポの遅さを感じさせずに世界観に浸れる展開になれば、一気に面白くなると思います。

 

 

といったところで、第一話の感想はここまで。

次回は第二話の感想を書きたいと思います。実はまだ第三話を観れてないんですが、現時点では第二話が一番面白いと感じています。

気が向いたら更新します。ではまた次回

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